2020年07月15日

メンコ、ぬりえ、きせかえが出てきました🎵

駄菓子屋さんのデッドストックです。
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先ずはメンコ。東千代之助 勝新太郎 高田幸吉 大友柳太郎 市川歌右衛門 伏見扇太郎 中村錦之助 堺俊二…あとわかる人います?
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裏。“死の灰”が怖い(^_^;)
メンコって主に地面にたたきつけて、相手のメンコを裏に返したらGET!という遊びだったけど、カードゲームとしても遊べたんですね。ルールはよくわからないけれど。この6桁の数字は何なんでしょうか?
このメンコは光沢のあるオフセット印刷ですけど、私が遊んでいた時のはもっと縦長で質の悪い厚紙だった。写真ではなくバチモンの絵。私はきれいに切り取って眺めて楽しんでいたけど、男の子たちにとってはメンコを勝ち取るゲームなので、簡単に裏返せないようにメンコを曲げるのね。たたきつけるメンコは油をつけて重くしたりする。地域によっては遊び方も違うのでしょうか?そういえば関西のメンコは丸型だとか。
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大川橋蔵 市川雷蔵(好き💖)市川歌右衛門 高田幸吉? 守屋浩? 赤木圭一郎 小林旭 石原裕次郎…であってるかな?
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裏。

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「ララミー牧場」のメンコ。

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豆トランプ
山城新伍他。
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裏。
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“きれいなぬりえ” 昭和24年製 定価5円
私が遊んだ35年前後でも値段は5円でした。お馴染みの“きいちのぬりえ”はA5サイズですがこれはB5サイズとこぶりです。
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“まつお”のぬりえ。昭和30年代。
ぬりえは“きいち”“まつお”“フジヲ”が人気がありました。
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きせかえ
A5サイズのこぶりなきせかえ。

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「おざふき紙」とありますがおざふき紙って何でしょう?よくわかりません(^_^;)昭和20年代頃?

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とっておきのお宝“きいちのきせかえ” 蔦谷喜一様の原画です🎵
蔦谷喜一さんは昭和30年代には北千住にお住まいだったそうです。もしかしたらニアミスしていたかも🎵



posted by たまちゃん at 21:03| Comment(5) | 昭和の子供 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月16日

★昭和の子供 きせかえ遊び

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昭和30年代中期のきせかえ(デッドストック)
きせかえ遊びは古くからありますが、昭和中期に登場した蔦谷喜一さんの独特な絵がブームになり、きせかえ、ならびにぬりえもみんな喜一さんっぽい絵になります。
これは喜一さんではありません。一見やはり喜一さん風ですけどね。
喜一さんの場合は「きいち」と名前が入っています。
いろんな作家のきせかえがあっても「きいち」のが一番いいと、こどもにはわかっていましたね。
駄菓子屋さんでぬり絵もきせかえも当時5円でした。
 
家には大きな裁ちばさみしかないので、切り抜くのは大変でした。
おかげで手先が器用になったかも(^_^;)
洗濯機がリアル。カタログか何かを見て描いたのでしょうか。
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お父さん、お母さん、妹、弟もいます。
お母さんはお出かけの時は和服。
確かこの羽織は関西の方はもっと丈が長いんですよね。
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なんと!現天皇陛下、及び美智子皇后のご成婚当時のきせかえです。
と言うことは昭和34年製ですね。
もちろん無許可でしょう(^_^;)
当時の世相を表わす文化的な小物はとても興味深いです。
電気冷蔵庫
まだどこにでも電気冷蔵庫があるという時代ではありません。
近所の家にかろうじて氷を入れて冷やす冷蔵庫がありました。
氷は5円だったか10円だったか…。
夏は毎日氷屋さんへ買いに行って、大きな氷の塊をお使いかごに入れて溶けないうちに急いで帰るのでした。
洗濯機
ローラー絞りつき。 これで絞ると貝製のボタンがバリバリ割れるのでした(^_^;)
ジューサー、ピアノ、三面鏡、電気炊飯器。
皇太子の手にはテニスラケットが。テニスが結ぶ恋。
足つきテレビ。
当時のテレビには緞帳の様なカバーがついていました。裾に金色のふさふさが付いていて。
お茶の間映画館という感覚だったのでしょうね。
あのカバーは日本だけですね。
ここには描かれていませんが電気鍋、電気座布団(ちゃんと4隅に房が付いて)と言うのもありました。
すぐに消えてしまったようですけど(^_^;)
トランジスタラジオはまだ出たばかりで高価でした。
小柄でグラマーな女の子を差すトランジスタグラマーという言葉ができたのもこの頃?
 
みんな高価なものばかりで一般家庭ではほとんどそろっていないものばかりですね。
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美智子妃きせかえ 別バージョン 雅びです(^_^;)
下の方にあるのはやはりテニスのラケット。卓球のラケットみたいだけど(^_^;)
 
お母さんの手にバナナ。バナナがまだ高価な時で、大人になったらバナナをたくさん買いたいと思っていました(^_^;)
 
 
 
 
 
 
ラベル:その他趣味
posted by たまちゃん at 21:58| 昭和の子供 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月07日

コミック探偵団 「少女漫画 月刊誌から週刊誌」

 小学校低学年の頃は漫画雑誌は本屋で買ったことはなく、学級文庫か友達の家、雑誌を置いてある床屋や歯科医院で読んでいました。(漫画本を買ってもらえる子は少なかった)その中で一番好きだったのは、高橋真琴、牧美也子、松本あきら、今村洋子などが載っていた光文社の「少女」。特に真琴氏の「プチ・ラ」が大好きでした。学級文庫でだけでなくもっと「少女」が読みたい!という中見つけたのが駅近くの古本屋。「少女」を必死で手に入れました。古本だと1冊10円。
「少女」後期の牧氏の表紙は絵と写真の合成で、これがとてもファンタジックな雰囲気できれいでお気にでした。松本あきら氏のミステリー物や今村洋子氏のホームコメディ「チャコちゃんの日記」も大好きだった。
その古本屋で次第に「少女」を見かけなくなりました。今日はあるかな?明日は?と何度も通ったのですが2度と「少女」を見つけることはありませんでした。そう、いつの間にか「少女」は廃刊になっていたのです。
ライバル誌に読者を奪われてしまったのでしょうか。「少女」は表紙を横半分だけにしたり、トランプの柄の型を切り抜き、透明フィルムを貼り、その下から次ページの写真が見えるという斬新なパターンがありました。漫画も石森章太郎氏の「ミュータント・サブ」など少年が主人公の連載少女漫画は初めてだったと思います。
読み物など他誌はユーモア小説など明るいテーマがメインだったのに対して「少女」は貧困や病気、事故や一家心中など悲惨な実話が多かった。
「少女」以外にも37年頃を境に「ひとみ」「少女クラブ」「少女ブック」などの月刊誌が廃刊になり翌38年から週刊誌の時代になっていきます。
「チャコちゃんの日記」は「りぼん」に移りましたが、もうその頃は「チャコちゃん…」は興味が無くなり、代わりに巴里夫氏の「5年ひばり組」が楽しみになりました。学校が舞台だったので自分の生活と一体になった様な身近な作品でした。1話完結だったので雑誌を続けて読めない時も続きがわからなくてイライラすることもなかった。
 小学5年に進級して間もない頃、ふと立ち寄った本屋で目にとまった「少女フレンド」。立ち読みした谷悠紀子氏の「スズラン天使」の続きがどうしても見たくて買ってしまいました。月刊誌が¥170なのに対して「少女フレンド」は¥50。おこずかいで買うのにちょうどいい値段でした。長く続けて買うつもりはなかったのにこれが週刊誌の恐ろしさ。月刊誌と違って週刊誌はストーリー展開が格段に早く、16ページと言う短い中で読者を飽きさせることなく次号へ引っ張る。月刊誌では感じたことのない面白さにハマってしまいまい、以後5年かかさず「少女フレンド」を購読することになるのです。
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posted by たまちゃん at 20:26| Comment(0) | 昭和の子供 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする